今日素晴らしいものを見ました。朝日新聞夕刊に国宝「源氏物語絵巻」の復元模写の紹介がでていたのです。
彩色顔料などを科学的に調査し、そして、、、復元。
始めてみるその色は青みがかり涼やかに爽やかに忍び寄る秋のはかなさをも想像させられる見事なものでした。
以前わたしが目にしたものとは大違い、、、それはそれは美しく華やかなものでした。
でも、その美しく色ずけされた写真をみて、、、きれい、、、、とは思いましたが、感動はちょっと、、、
私が天邪鬼なのかもしれませんが、なんだかちょっと品が落ちたような、浅いような、、、気がしたのです。
どんなに原色に戻したとしても、出来上がった当時の雰囲気は出せないような気がするのです。
(研究されている先生方には又、別の目的がおありなのだと思いますが)
当時の、平安朝の空気の中で見たものが一番良い状態であって、それを戻す事はちょっと難しいような気がします。
元がどんなであったかを探る事は、、、あまり大事ではないような気がします。
時を経たものにはその「時」が醸し出す、言葉には表せないような何かが染み込んでいるような気がするのです。
良く解りませんが、それは紐をそ~~~と開く、
その度に羨望の眼差しで、、、
憧憬の瞳で、、、、
思い入れ深く、大切に大切にあつかって来た人々の気持ちが絵巻をより優れたものにして来たような気がするのです。
見る人一人一人の気持ちで描く、色付く絵巻、、、 紐解く度に生き返る、、、、、素敵だと思うのですが。
以前、こんなこんな経験をしました。
日本三大碑のうちに多胡碑というのがあります。711年に作られたものです。
先日その拓本を見せていただきました。その拓本はかなり古くに撮られたもので、広げたその時は、まるで満天の星の如く一面に散らばり、とても字の体をなしたものではありませんでした。
でも、、、でも、、、なのです。
少しずつ少しずつ時間が経つにつれ、
そのオボロな中から「字」が現れてきたのです。
それはなんと言ったらいいのか!?
驚き、感激、、、声が出ませんでした。
ただじ~~~~と見ていました。
長い時間しまいこまれていた拓本、、、空気に触れると共に集まった人たちの息を吸って、拓本が息を吸って生き返ったのです。
それはそれは見事な拓本でした。「生きている」のです。
紙は何百年経ってもちゃんと生きてる!そのとき、私は確信しました。
多胡碑も源氏絵巻も、、、、それを見てくれる人たちのエネルギーを貰って生きているような気がします。
時、、、を経てきたもの。それは丁度ワイン<私は下戸なのに)のようにそれを扱ってきた人々と共に少しずつ少しずつ、時に熟成され、時にろ過されて育っていく、育てられていくような気がしました。
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