「実用書道」も回を重ね、色紙に俳句を書きました。
それぞれが好きな俳句を選び、書く。
同じ句を選んだ人が誰もいない、、、と、同じように表現の仕方もそれぞれで面白く、少しずつ個性が出てきたようです。
次は短冊
だんだん紙の形が変わっていき、縦長の料紙にどうまとめるかはちょっと難しそうです。
それでも時間内には書き上げられると言う、時間の配分、集中力の持たせ方など、実学の価値は充分。
同じ課題を同じ時間で学ぶ時、基準はどこにありますか、、、と質問がありました。
実は基準と言われる物はナイ、、、と、思います。
それぞれ経験してきたこと、学んできた事、、、、は、みな違います。
書暦も性格も感覚も、そして情熱も。
何かを学ぶ時、対するものは他者ではなく、自分。
比較する時も自分、、、
前回の自分と比べて幾らかでも上達?が見えたら。例え、一本の線でもうまく引けたら?それは進歩、、、だと、思います。
周りを見る事は必要ですが、そこに自分を重ねるのはあまり良いことではないと思います。
皆、良い処もあれば、そうでない処も、、、
一番は元気溌剌!生き生きとして品の良いものであれば、、、きっととても魅力的な作品になると思います。
一字の中で息が切れていたり、中心がズレていたりしては一字としての価値?はないと思います。
書は生き物であり、生もの、、、、と、言うのが私の持論なのですが。
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