偶然でしょうか?並んで座った3人の母親が同じ明治43年生まれでした。
一人の方の親御さんはまだお元気で一人暮らしをしていられるとか。多分97歳?ご長命に感心しきり。
「おかしいのよね、、、私の声は聞こえるらしいのよ。別に声が高いわけでもないんだけど」と友。
「私の経験(父は88歳、母は92歳でした)から言うと、それは声の高さとか大きさとかの問題ではなく、ご本人の聞こうとする意思じゃないかと思います。
頭のどこかで、この人の言うことは聞こう、この人の言うことはどっちでも?と、決めているんじゃあないかしら、、、?」
目も耳もみんな視力、聴力の問題ではなく、すべては本人の思い、知力ではないでしょうか、、、父や母を見ていてそんなことを感じました。
白内障の母は、夏の和服姿を見て「あれは絽だね、、、」と、言いましたもの。 当然絽などと見えるはずはないのに、心で、頭で、判断、絽が見えたのだと思います」
「へ~~
私は母がボケてよく分からなくなってしまったのかと思いましたけど」
「確かに分からなくなってはいると思いますが、でもそれだけではないと思います。
誰だって、幾つになっても、好きな人の声は聞きたい、好きなものは見たいと思います。
”心そこにあらざれば聞けども聞けず、見れども見えず”
お母様には、大好きなあなたの声が、きっと聞こえると思います。
人間の微妙な感情は、頭のどこかでちゃんと聞き分けているーーーそんな気がします。
如何でしょうか?
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