綺麗な心

友人と話をしていた、、、、

 「テニスを始めたんだけど、、、いやぁあれはキタナインダ」

 「どうして?」私
 
 「だって相手が居ないところを狙って打つんだ、、、」

 「それは当たり前じゃない!?」私

 「いやぁ それは汚いよ、、、」

 「????

  勝負だもん仕方ないじゃない!」

 「イヤぁ 私がキタナイ”手”を使ったものだから、みんなも、だんだんキタナクなって来ちゃったん     だ、、、困ったよ、、、」

 私はびっくり!

 スポーツ全般、勝負事は全てキタナイと言われる手を使う事は当然のこと。
 キタナイと云うと語弊があるが作戦を練って勝負を賭けることはことは当然だと思うのですが、、、
 (斯く言う私はスポーツをやったことがないので、本当のところは分からない、、、、でも世間的にはそのように聞いている)

 ヨワイ70を過ぎたオトナがテニスで、相手のミスを誘うような手を使う事をキタナイとは言わない。

 なんと純真で綺麗な心をもった人なのかと感心してしました。

 また別の友達は、、、

 話題は50年後の我が国の人口減少について

 このままでは今の経済力は維持できない。
 人口減少をどうすればよいのか、、、などなど悩みはつきない、、、

 「フランスのように自国の元の植民地からの移民はどう?」私

 「でも、我が国に植民地はないし、そこからの移住も望めない。
 しかも国民性として他国からの移民は受け入れ難いのではないか?」

 「じゃあどうすればいいの?」私

 「どうもできないと思うよ、、、どうも人類は絶滅危惧種らしいから、、、」

 「そんなあ~~~どうにかして!」

 「僕らの子供の代まではどうやら持つらしいけど、、、その次は?」

 「じゃあどうするの?」

 「今の僕らの経済状態は保てない。孫の代になったらどの様になるか分からないよ、、、
  だから僕は今孫とせい一杯遊んでやるんだ、、、そして”ごめん”って孫に誤るんだ、、、」

 こちらもまたなんと綺麗な優しい心の持ち主!

 こんな美しい心を持った友人に囲まれている私は心をどう磨けば良いのでしょう?
 
 この年になるまでの時間の使い方(生き方)で斯くも美しい心の持ち主でいられるのです。

 下世話でガサツな生き方をしてきた私には、気付かぬうち汚れてしまった心がちょっと恥ずかしくもあり、悲 しくも感じました。

 コレからどのように生きてゆけばよいのか?
 何時までも美しい心で居られるようにするにはどうあればよいのか?

 少々頭が痛い問題です。

 この大切な友人たちと歩調を合わせて行かれるよう日々心を磨いて行かなくっちゃ!

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 ミっフィー展に行ってきました。

愛らしいミっフィーチャン!
 これを愛する気持ち

 、、、、これも綺麗な心に入るでしょうか?

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