書作展 (2)

爽やかな五月の風の中、書展は始まりました。

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 今回は皆さんの作品と先代の書を展示しました。

 沢山の方々の反応は思っていたよりも遥かに大きく、改めて父の偉大さを知りました。

 会場に来られる方の足取りを見ていると、ほとんどの方が真っ直ぐ父の作品の前に!

 何も語らぬハズの作品が大いに物語る。

 御本人はとっくの昔にアチラにいっているのに手元に残された作品が何やらブツクサ?

 書以外何もない人でした。
 つまり世俗の塵挨にマミレテいない、損得勘定のでいない、本当に無欲の人。
 (その分 母はシャカリキになって家計を引き締めていました)

 「お父さんは筆をすりこぎにして頑張っているんだから、、」が母の口癖でした。

 そんな父は書人としては幸せな一生だったのではないかと思います。

 だから、、、父の書は、父以外には誰にも書けない。
 そして人の心を打つのでしょう。

 
 父の書の前でシバシ佇み暫くして?

 「今日ここで大先生にお逢いできるとは思ってもいませんでした。
  本当にありがとうございました、、、」

 後は?
どうでもいい?

 (エ~~ッ!あんなに一生懸命書いたのに!

 それで終わり!?)

 まあ、少しはその他もご覧いただきましたが大方はこんな感じでした。

 今回大きな学び”をさせていただきました。

 ”魂”について、、、

 心を込めるということの価値!

 ”作品に言葉はいらない”

 饒舌に物語るのは口ではなく、書かれた書であること!

 どんな説明も文字の前では意味のない言葉でした。

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 「碧虚郎」
 たけと読むそうです(不勉強な私は読めませんでした。この辺から博学の父との差歴然!)

 よく見ると用紙には竹の文様。

 「筆に神有り」
 古色に加工された紙に。

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「走馬看花」
 用紙に馬の文様。

 それぞれに紙と墨の色も程良く調和するよう計算されていました。

 墨を始め(墨は古墨、嘉慶年製を好んで使っていました)紙はコレも良く乾いた古紙を。

 用具用材には金に糸目をつけぬ凝り性の父でした。

 ここまで書いてきて、、、ふと?

 心を込めるの当然の事!

 イヤ?違うかも、、、

 それだけではない?かも?

 ”無心”!?

 無心こそが最大の魅力?かもと思えることに気が付きました。

 心を込めるのは気持ちがあれば誰でも出来ますが、”無心”まで到達できるのは生半可な気持ちではなかなか、、、

 全ての”欲”をぬぐい去り、天然自然と一体になった時
 人は”無心”になれるのかも?

 俗物であっちこっちに欲だらけの私など足元にも及ばない、、、、別次元!のお話です。

 書の修行?精神の修行?

 この世に居る間にどれだけ学べばいいのでしょう?

 あ~~~あ、、、 

 先は長そうです。

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