俗の中に雅を見出す

先日こんな記事が出ていました。
 「酒井抱一と江戸琳派の全貌展」について、、、酒井抱一の生誕250年を記念して開かれたと。

 記事は抱一を中心とした琳派への学問的な研究内容に関する賛辞の言葉でした。

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 中に「俗の中に雅を見出す愉悦」、、、と、言う言葉が。

 素敵な含蓄のある言葉です。

 もともと琳派が大好きな私には”さもありなん、、、”です。

 俗が俗だけで終わる、、、から”俗”なのです。

 その中に”雅”を見つける、、、しかも見つけるだけでなくそこに言葉にできない喜びを感じる。

 シ・ア・ワ・、、、セそのものです。

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 一人その世界に浸り、限りない夢想の中で密かに見つける一瞬の喜び?
 ヒタスラ自分だけの見方の中で見つける楽しみ、、、

 しかもそれが”雅な世界(境地)”

 俗だけで終わっていたら?多分魅力は半減。

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 ほんの少しの、ホンのちょっとの、気品の高さが、ソコに存在するから人を魅了する。

 以前浮世絵展を観に行ったとき、庶民の楽しみの浮世絵の中で同じような事を感じたことがあります。

 私の作品も俗に落ち入ることなくホンの一瞬でもいいからチラッ!
 でもいいから、、、、雅を感じていただけたら?

 高望み?かも、、、

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 それを目指して今日も書いています。

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