誇り高き人がいました。
表現の世界に身をおきながら、自身を表現することは不得手のように見えました。
アニメの神様のような人、宮崎 駿さん。
テレビでその姿を追っていました。
新しい作品を生み出す苦しみ、、、無から有を作り出す楽しみ、、、もがき苦しみのた打ち回っている人がいました。
内側から湧き上がってくる何かを捕らえ形を創り、命を与え、力を満たし、動かす、、、それは我が身を削り、心を裸にし、何か分からないものに訴えかけること。
時に笑顔で、時に声高に、時に殻に籠もり、時に快活に動く。
無神経にまわすビデオカメラに大声を発し、どうして分からないのかとじれる、、、、
神様の姿に同情し、安心し、アア、、、、彼も人の子!と発見。
何かに集中している時は人影さえもうっとうしく、増してや「どうしてですか?」などとの愚問には返す言葉もみつからないでしょう。
作為に満ちた作品は恥ずかしい、作品は裸の自分、、、、との言葉には、正直な人間性にあふれる姿が。
作り出すことの苦しみは限りない自分との戦いのように見えました。
自分を責めて、責めて、責め上げる、、、その中に見つけた小さく光るカケラ、、、それを大事に大事に拾い集め、アタタメ、育てあげる。
それが一つの形になった時(映画が出来たとき)その役目は終わりとなる。
比較するのもオコガマシイとは思いますが、私も作品は出来上がったときで終わり。
それはそこでもう、カス、、、になってしまうような気がするのです。
精一杯命がけで作ったものでも、吐き出した(出来上がった)瞬間、それは尽きるように思います。
もし、幸いにしてどなたかが大切にして下さったら、それはそこに命が宿り、生き始める、、、もし、そうでなく破棄されてしまったらそれはそれしか力がなかった、、、と、言う事です。
アニメのように、沢山の人人が見に来てくれたら、、そこで、そのアニメに命が吹き込められ、人々を楽しませる事が出来、もしかしたら次世代までも語り継がれる事になるかもしれません。
私は監督の作品は「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」くらいしか見ていません。
中で「トトロ、、、」は大好き、でも「千と、、」は何が良いのか分かりませんでした。でも、この監督の姿を見ていて、何か分かったような気がしました。少なくとも命がけで取り組んだ作品である事、それぞれの観客の見方で何かを感じれば良い、、のではないかと。
トップたる者の孤独な姿、気高く清くいつまでもあれかし、、、、ご健康をお祈りもうしあげます。
*能登半島地震に遭われた皆様の一日も早い復興をお祈り申し上げます。どうかくれぐれもお体をお大切になさいますように。
コメント